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くだらないたわごとの数々(またはすばらしい作品の数々)
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水野晴郎死去
理由は分からないが、彼は死んだ。

もう水曜ロードショウの、笑顔の彼はいない。
もっとも、ずいぶん前からいないけど。
彼が消えて、耳ざわりな、女の声だけがなりひびいていたけど。

昔から水野晴郎について気になっていることが一つあって、
それはなぜ彼はハルロウではなくハルオなのか?という問題だ。
「オ」というと、まっ先に男を連想する。
また、「郎」も男の名前でよくつける文字だ。
つまり、「郎」を「オ」と読む事で、彼は二重構造的に男だったことになる。

そう言えば彼は、警官の服が好きだったようだ。
この事と併せて考えると、水曜ロードショウで見せたあの
やさしそうな笑顔の裏側にかくれた暴力性にいやでも気付かされる。

水野晴郎は怒ると相当恐いと思う。
天国のようなほほ笑みを持つ人は、反対に、地獄の悪鬼のような顔にもなれる。
僕が子供の頃、水野晴郎が怒るなんて、トトロの解説を聞いていると、
想像もつかなかったが、
実際に水野晴郎が怒れば、多分、世界がバリカンで引き裂かれたようなショックを得るだろう。
このトリックのタネは、光のさす所にこそ闇が生まれるという、ごく当たり前の事実でしかない。

いづれにせよ、水野晴郎は晩年に映画をつくった。
僕は見ていないが、あれだけ映画を見ている人だから、それは多分
すばらしいに決まっている。
げんに、そのシベリヤ鉄道という映画は、1、2、3、4くらいまで出ているという
事だから、その人気はなかなかだと思う。
また、カルト的な人気という説もきくが、これは本当の映画ファンからも愛される
という事なのだろう。

僕は水曜ロードショウがなくなってからも、たまたま水野晴郎を
見続けていた。
たとえば深夜の映画で解説していたのもみたし、
近所のダイエーの安売りのDVDで解説していたのも見た。
頭が悪く上昇指向ばかりにどん欲な下品な人間であれば、それを零落ととるかもしれない。
違う。
彼が安売りDVDに入って語りたかったその情熱は何なのか?
水野ファンであれば、そのイタリヤ人のような情熱を
各自でDVDを購入して、探す必要があると思う。終わり。

(そういえば彼はイタリヤ人を感じさせるところもある。特にひげが。
イタリヤ人というと、情熱の人、熱い人というイメージがあるが、
情熱がなく、ね暗でさめたイタリヤ人というのもいるのだろうか?)
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いもけんぴを食べると、
自分がみじめな気持ちになっていたのが分かる。

水でほぐれないかなあと思いながら
水を飲んで流し込むと、カルキだけが残る

しばらくトンネルをぐぐって行くと
いつのまにか音楽に逃避している自分に気付く

いもの粉はまだのどに残っており、
それが森山直太郎の歌声で消すことは出来ないのは分かっている。

だが僕は、死にたいのだ。
せまい台所で、ヘッドフォンをしながら。

油壺マリンパークの魚のようになりたい。
口をひらけばそこにエサがあって、涼しい水の中を流れて行きたい。

いもなんて喰いたくない。
だが、しばりつけられた欲望の中で、いもだけが皿にのっている。

もう20光年くらい時空をすっとばしてくれ
いもを皿にのせないでくれ

ゆるゆるしたエメラルドの中でエサを放ってくれ
魚のように生かしてくれ

全部午前のしばり首の中の出来事だ
そしてまた一つ、いもけんぴが放られる
シンプルな生活がしたかった。
人が、今日はシュークリームだ明日はマンゴープリンだと狂奔するのを見て
自分は茶とこんぺい糖だけですます。

あるいは、チャップリンが歯車にのみこまれているのを見て笑う。

そういう生活がしたかったんだけれども、諸事情であきらめた。



つづく
ぼくは最高のうどんさ
最高のうどんをたべる時が一番いい

ですから、箸をもって海老をつかむ
スルリと落ちる時がつゆに沈む

どんなに考えても茶わんが
海老が沈むぶんには構わない
それはそうだが、海老が要求する

母が感じていたこと
僕がうどんをたべる時
海老が感じた

記憶ではそうだが、僕は再考する
感じたうどんが違うが、
しまった、閉まったのは9時だ

ぼくは最高の海老さ
あついつゆの中に入って死んだ
けんしょう炎にかかったら三時間は治らない
自分だけはとくべつだと思っている人間と病院で一緒に待った。

「山田さん」 声が呼ばれた。
僕は病気なんだと、自分に言い聞かせながら、診察室に入った。

「どこがわるいの」先生が言った。
僕は先生は僕をなじっているんだと思った。先生は猿のようにやさしかった。

「手がいたいんです」というと、
「けんしょう炎だね」と言った。「それくらいは分かってます」と言った。

「分かってるならどうして、ここに来たの」先生は言った。
「なおしてもらいたいからです。」「来たってなおるもんじゃない」

先生はイグアナのようにやさしかった。来ってなおるもんじゃない。
「君は死んだ方がいい」「なぜならけんしょう炎で生きて帰った人はいないからだ」


「薬を出します。一日三回のんでください」先生は言った。先生は間抜けのようにやさしい。
僕はありがとうございますとちゃんと言った。言えたような飢餓した。

僕は診察室の廊下にかかってる絵をみた。楳図かずおの絵だった。
キノコが死んでる絵だった。 僕はけんしょう炎はなおらないと思った。


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プロフィール
HN:
山田うんこ
性別:
非公開
自己紹介:
1985年 ブルーハーツがインディーでシングルを出す。
1989年 バックトーザフューチャー2公開
200 6〜7年 ぼくが詩をはじめる
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